
「弁当の日」とは・・・・
「弁当の日」は、香川県の竹下校長先生が、子どもが、自分ひとりで買い出しから調理、後片付けまでする「弁当の日」を2001年から年数回、滝宮小学校で始めました。親は口を出さない、手を出さないというルールです。
「弁当の日」の始まりは、あまりにも給食の残食が多くて、なんとかならないだろうかと思ったことからで、当初、怪我でもしたらとか、本当に大丈夫か、父子家庭ではどうするのかといろいろ不安や反対の声がありました。
しかし、そんな心配はよそに、子どもたちは楽しそうに弁当を作り、あまりうまくいってなかった親子関係も見事に変わっていきました。「弁当の日」にまつわる素敵なエピソードが、増えていき、「弁当の日」を実施する学校がどんどん全国に広がっています。
私は竹下先生の活動を知って一人でも多くの子どもたちが台所に立つことによって素敵な大人になっていって欲しいと思います。
「弁当の日」は、香川県の竹下校長先生が、子どもが、自分ひとりで買い出しから調理、後片付けまでする「弁当の日」を2001年から年数回、滝宮小学校で始めました。親は口を出さない、手を出さないというルールです。
「弁当の日」の始まりは、あまりにも給食の残食が多くて、なんとかならないだろうかと思ったことからで、当初、怪我でもしたらとか、本当に大丈夫か、父子家庭ではどうするのかといろいろ不安や反対の声がありました。
しかし、そんな心配はよそに、子どもたちは楽しそうに弁当を作り、あまりうまくいってなかった親子関係も見事に変わっていきました。「弁当の日」にまつわる素敵なエピソードが、増えていき、「弁当の日」を実施する学校がどんどん全国に広がっています。
私は竹下先生の活動を知って一人でも多くの子どもたちが台所に立つことによって素敵な大人になっていって欲しいと思います。

なぜ「弁当の日」を広げたいのか
あるデーターで、日本の親は世界一子どもにお金をかけているのに、子どもは親を尊敬しないという結果がでているそうです。欲しいものは何でも買い与え、習い事をさせ、塾にも送り迎えで通わせて・・と多額なお金をかけています。でも、子どもが本当に欲しいものは、お金で買えるものなのでしょうか。
竹下先生は、「学びの時間」の土台となる「くらしの時間」を「弁当の日」を通して取り戻すことだと言います。ですから学校給食否定でもなく、ただ弁当を作る技術の向上や「食育」の知識を入れることを目的にしたわけではありません。
「弁当の日」に臨む子どもたちの笑顔。誰かのために作る。「おいしいね」って言ってもらえるうれしさ。子どもたちは、「生まれてきてよかった」という自己肯定感。どうせ無理と思っていた親が、我が子の頑張りに驚く。そこには子どもの自立や親子の絆などさまざまな願いが託されてます。我々が便利や効率を求め、学歴主義・拝金主義の中、失ってしまったものを「弁当の日」は取り戻すことができます。
2001年の、最初に「弁当の日」を体験した子どもたちは、もう成人式を迎え、今でも70パーセント以上の子どもたちが自分で食事を作るそうです。親世代でも食事作りを面倒に思うこの時代に、たった1年間に5回しかしなかったのに当たり前のように自分で作るようになる。「弁当の日」が将来の大事な生きる力になっているのです。このような体験をもった子どもたちが、やがて社会にでていき大人になり、親になった時、きっと素敵な親になっていくのではないでしょうか。
今、「弁当の日」は、いろいろな広がりを見せています。子どもたちが必ず通う小中学校で、年数回「弁当の日」してもらうことで、誰もが「弁当の日」を経験できるかと思います。年1回程度なら単なるイベントになってしまいますが、繰り返しすることでどんどんいろいろな力がついていきます。そして、学校だけでなく、家庭や職場にも「弁当の日」が広がり、そのことがやがて社会までも変えていく力があるのではと思います。
群馬県でも、少しずつ「弁当の日」が広がり始めましたが、もっと広がるよう応援していきたいと思います
あるデーターで、日本の親は世界一子どもにお金をかけているのに、子どもは親を尊敬しないという結果がでているそうです。欲しいものは何でも買い与え、習い事をさせ、塾にも送り迎えで通わせて・・と多額なお金をかけています。でも、子どもが本当に欲しいものは、お金で買えるものなのでしょうか。
竹下先生は、「学びの時間」の土台となる「くらしの時間」を「弁当の日」を通して取り戻すことだと言います。ですから学校給食否定でもなく、ただ弁当を作る技術の向上や「食育」の知識を入れることを目的にしたわけではありません。
「弁当の日」に臨む子どもたちの笑顔。誰かのために作る。「おいしいね」って言ってもらえるうれしさ。子どもたちは、「生まれてきてよかった」という自己肯定感。どうせ無理と思っていた親が、我が子の頑張りに驚く。そこには子どもの自立や親子の絆などさまざまな願いが託されてます。我々が便利や効率を求め、学歴主義・拝金主義の中、失ってしまったものを「弁当の日」は取り戻すことができます。
2001年の、最初に「弁当の日」を体験した子どもたちは、もう成人式を迎え、今でも70パーセント以上の子どもたちが自分で食事を作るそうです。親世代でも食事作りを面倒に思うこの時代に、たった1年間に5回しかしなかったのに当たり前のように自分で作るようになる。「弁当の日」が将来の大事な生きる力になっているのです。このような体験をもった子どもたちが、やがて社会にでていき大人になり、親になった時、きっと素敵な親になっていくのではないでしょうか。
今、「弁当の日」は、いろいろな広がりを見せています。子どもたちが必ず通う小中学校で、年数回「弁当の日」してもらうことで、誰もが「弁当の日」を経験できるかと思います。年1回程度なら単なるイベントになってしまいますが、繰り返しすることでどんどんいろいろな力がついていきます。そして、学校だけでなく、家庭や職場にも「弁当の日」が広がり、そのことがやがて社会までも変えていく力があるのではと思います。
群馬県でも、少しずつ「弁当の日」が広がり始めましたが、もっと広がるよう応援していきたいと思います
はじめてのお弁当作り 応援します・
子どのたちを台所に立たせたい、でもちょっと自信がない、できるかしら、台所が汚れるし・・・と思っている大人たち。台所に立ってみたい、料理をしたいと言う子どもたち。それぞれの思いを叶え、子どもが台所に立つきっかけ作りとして「はじめてのお弁当作り」をしています。3歳以上の子どもから大丈夫です。
子どもと大人の空のお弁当を持ってきてもらい、そこに子どもたちが自分で作った塩おむすびと卵料理など(アレルギーのあるお子さんについては対応しています)を入れます。主なおかずはこちらで作ります。
塩おむすびにこだわるのは、家に帰ってからおやつ代わりにお菓子などではなく自分で作った塩おむすびを食べるようになって欲しいからです。
作っている時の子どもたちの真剣な顔、やるに従ってどんどん上手になっていき、もっと作りたそうです。たった一回のお弁当作りですが、帰った後の子どもたちの反応はすごいものがあります。ある小学校の一年生の子は、その晩お母さんが育成会の用があって夕食が作れないと言ったら「私がお弁当を作るから大丈夫」と言ったそうです。小2の子は、台所で料理を作っているお母さんに、「料理は何回も味見するんだよ」と言いなが手伝うようになったそうです。
私は、料理を伝えるのは親から子へのその家庭の味が基本だと思っていますが、まずはそのきっかけ作りを「はじめてのお弁当つくり」でできればと思います。
子どのたちを台所に立たせたい、でもちょっと自信がない、できるかしら、台所が汚れるし・・・と思っている大人たち。台所に立ってみたい、料理をしたいと言う子どもたち。それぞれの思いを叶え、子どもが台所に立つきっかけ作りとして「はじめてのお弁当作り」をしています。3歳以上の子どもから大丈夫です。
子どもと大人の空のお弁当を持ってきてもらい、そこに子どもたちが自分で作った塩おむすびと卵料理など(アレルギーのあるお子さんについては対応しています)を入れます。主なおかずはこちらで作ります。
塩おむすびにこだわるのは、家に帰ってからおやつ代わりにお菓子などではなく自分で作った塩おむすびを食べるようになって欲しいからです。
作っている時の子どもたちの真剣な顔、やるに従ってどんどん上手になっていき、もっと作りたそうです。たった一回のお弁当作りですが、帰った後の子どもたちの反応はすごいものがあります。ある小学校の一年生の子は、その晩お母さんが育成会の用があって夕食が作れないと言ったら「私がお弁当を作るから大丈夫」と言ったそうです。小2の子は、台所で料理を作っているお母さんに、「料理は何回も味見するんだよ」と言いなが手伝うようになったそうです。
私は、料理を伝えるのは親から子へのその家庭の味が基本だと思っていますが、まずはそのきっかけ作りを「はじめてのお弁当つくり」でできればと思います。