★2・18負担区分通達(1964年2月18日文部省「学生寮における経費の負担区分に関する通達」)から50年

今週号の「サンデー毎日」がグラビアで「大学闘争から45年」を特集している。また先日、駒場寮時代の論敵、泉房穂さん(明石市長)に30年ぶりに再会したこともあり、ちょうど30年前駒場寮委員長であった頃のことを強く思い出してしまう。
 ということで少し昔話ですみません。ただこの30年前の経験は、今の船橋市議会での活動にも役立っていますので完全に昔話というわけではありません。

私が入学した1981 年当時、国立大学の学費が年間18万。寮費は月2000円(うち200円。残りは自治会費。あと別名目で100円支払い)であった。今の大学生の方は「非常に安い」と感じると思うでしょうが、それでも、当時の私たちは
「これ以上、学費や寮費が上がると、経済的に困窮な層が大学に来られなくなり、憲法に保障された教育の機会均等を奪う」
と値上げ反対を主張していました。
 一方、文部省は学費を毎年少しずつ上げるとともに、戦後直後も含む苦学生を前提に非常に低廉に抑えられていた寮費についても、寮生からの徴収を増やすように
 1964年2月18日に
「学生寮の経費の負担区分に関する通達」(通称2・18負担区分通達)
をだし、大学教授会に要請していきました。

これは簡単に言うと
「共用スペース水光熱費は大学が持ってもいいが、居室部分の光熱費は寮生が自己負担するようにしなさい」
ということです。

これだけ聞くと、今の時代から考えると「当たり前」と感じるかもしれません。
しかし、1964年当時の寮自治会は

・困窮者はそれでも大学にこれなくなるかもしれない。
・少なくとも文部省が決めるべきでなく、大学と寮自治会が話し合って決めるべき

などの理由で反対しました。

そして1960年代はまさに大学闘争の時代。寮費の値上げ以前に大学の運営そのものが可能かという時代でしたので、2・18負担区分通達は実質は機能せず眠りました。

ところが私が入学した1981年ごろ、文部省は再びこの通達の実施を求め、
たしか
1982年の
国公立大学学生部部長課長会議で
徹底を指示しました。

その流れの中で、東大駒場寮に対しても、大学から寮委員会に水光熱費負担=値上げ(少しは負担をしていたので値上げ)提案がなされました。
 大学側への支払い月200円をたしか月3000円程度増やす提案でした。
これに対して、不当だから一切認めるべきではないという意見と、値上げはある程度をやむをえないが値上げ額を抑えさせ、またその分、施設改善をしっかりさせようとの意見に寮生が二分されたのです。

今の学費や大学生のアパート代から考えると非常に低い額で争っているのほ不思議と思うかもしれませんが、金額の問題よりも「教育の機会均等を守る」という理念のもとに動いていたのです。

ということで、私が30年前に寮委員長だった時に、当初3000円値上げ案を2400円になるように様々な理論で工夫をさせ、合意にいたったわけです。ただこれについては原則反対の方からは批判をいただきました。

ということで、寮委員会は「この合意は2・18通達によるものでなく、駒場寮独自のものと明記せよ」と主張し、大学と話しあった結果、1984年5月24日に本調印した時の菊池昌典大学側学寮委員長が以下写真のように「確認事項」を調印の際の添付資料として署名し発行することを決定したわけです。

確認事項2(1984年5月24日 菊池昌典・第八委員長)
「2、合意書の第一項に関する議論の中で、寮委員会側は、水光熱費の負担区分はいわゆる2・18通達を前提にすべきでないと主張し、第八委員会側は、それが駒場寮独自の方式にもとづくものであることを強調した。

実は、冷静に振り返ると「玉虫色」の表現が多くあります。しかし、当時はなんとかここまで文書で出させるので精一杯でした。ということで、本日2月18日は、私が20代前半に直面した
2・18負担区分通達の50年目です。

↓1984年5月24日 駒場寮合意書添付確認事項(第八委員長 菊池昌典)



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