★「失敗小説、酵素となる」―2010年9月10日〜2016年2月5日― 2016年2月20日(土)午後6時 朝倉幹晴(53歳) 6年半の想いを表現したため、「たいへん長い文章」となりました。適当に読み流しながらお読みください。 20節に分けました。その見出しは以下の通りです。また、内容的に、個人的な想いが強く、市議としての公式サイト(予算案や総務委員会報告など公的な情報発信中心)に掲載することは躊躇し、今は停止状態となっている旧携帯サイトに掲載します。その影響でパソコンでは書式的に若干読みにくい点もあると思いますが ●見出し 1はじめに 2、10・20代の原点〜自然科学(数学含む)・社会正義・表現(小説) 3、2008・09年〜「がん対策とがん遺伝子」 4、2009年夏、市議としての事務所体制の撤退 5、2009年9月10日、小説「キャサリン・キャンサー」(主人公、浅利みゆき)構想思いつく。 6、2009年10月31日、金沢市21世紀美術館、金沢市高校生美術展での1枚の絵との出合い 7、2009年11月30日、水戸コミケ(2010年3月21・22日開催)に締切当日出店申し込み 8、2010年3月15日、携帯小説「キャサリン・キャンサー」第1幕スタート 9、2010年10月20日、携帯小説「キャサリン・キャンサー」第2幕(2015・2016年が舞台)スタート 10、2011年3月11日、東日本大震災で執筆停止・現在にいたる。 11、携帯小説「キャサリン・キャンサー」の紹介(あらすじと登場人物配置) 12、小説失敗の原因分析〜テーマの難しさ、共感の欠如、登場人物が多すぎる・構想の欠如・既存作品の焼き回しの側面 13、挑戦したことそのものの意味、左京区の舞台設定のみが小説としての成功か? 14、失敗小説、酵素となるー311以降の激動、市議会活動、本出版につながる。 15、2016年2月京都行き前後の読書と思索 16、2016年1月31日、 七月隆文「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」(宝島社)との運命の出会い 17、コーバイス「意識と無意識のあいだ〜『ぼんやり』したとき脳で起きていること〜」(講談社ブルーバックス)での小説の捉え方 18、お別れ会としての2月5日早朝京都散策強行〜小説執筆中の鈴木ひろ子市議とともに 19、別の形での復活の夢 20、まずは4月から源氏物語現代語訳(寂聴源氏)を読み進めます 1はじめに 私は大学卒業後、1989年より駿台予備学校生物科講師、1999年より船橋市議となり それ以降、市議としての活動をさせていただいている。ひとえに応援していただいている皆様のご支援により、53歳の今日まで活動をさせていただいてきた。 人間いつ命がなくなるかわからないが、仮に100歳まで生きるとした場合、人生の前半が終了し、折り返して人生の後半にさしかかったと考えている。 人生前半の最後のタームともいえる2009年9月10日〜2016年2月5日の6年半、私は原則的な市議会活動は継続しながらも、「様々な世界」に関わり、不思議な体験をし、不思議な出会いもあった。「狭義の市議の活動」として見ると、それからはずれた「寄り道」であったかもしれないが、結果的には、世の中・人間・出会いを別角度から見るきっかけとなった。2016年2月5日の京都で、人生前半の最後のタームを振り返り整理する時期と感じ、ここにしたためます。 2、10・20代の原点〜自然科学(数学含む)・社会正義・表現(小説) 10代の頃から志向していた「自然科学(数学含む)・社会正義・表現(小説)」という3つの方向を今の志向して生きており、取り組んでいる具体的なことは変わっても、53歳になっても、人生の基本は10代と変わっていないと感じる。 子どもの頃より自然科学(数学含む)が好きで得意でもあった。同時に、公害問題を知り、自然科学が悪用されないような社会正義を求めた。高校の時は「政治」そのものには無関心であったが、東大駒場寮委員会活動で社会正義を実現する手段としての「政治」を知った。その体験が船橋市議としての基本になっている。 最後に「表現」。中高生では音楽・美術など表現を志向する人は多い。私は音楽と美術はは得意でなかったが、自然科学を基本に表現を行う「SF(空想科学)小説」「SFアニメ」に魅せられた。私にとっての「表現」はSFであり、アニメ・マンガは書けなかったので、いつか「SF小説を書こう」との夢を愛知県立時習館高校の頃持ち始めた。 当時、千葉県立安房高校から早稲田大学に進んだ中沢けいさん(現法政大学教授)が千葉の海と早稲田大学の往復を舞台とした「海を感じるとき」で「群像新人賞」を受賞された。そんな影響もあって高校の文学部に入部し、短編SF小説を書いた。東大合格後もしばしSF小説を書こうと試みだが、「体験が不足しすぎていて何も書けない。まず体験が先だ」と考え、執筆をあきらめ、寮委員会活動や応援部の活動などに入り込んだ。それが現在にいたる政治活動や体力の基本になったのだから、大学入学後しばらしくして(1982年)小説を断念してよかったと感じた。そして「SF小説の夢」は保留したまま、2010年にいたる。 3、2008・09年〜「がん対策とがん遺伝子」 2008年に私に多大な影響を与えた方の死を知り、混迷した思索が始まった。ただ、そこことはまだ文章化すべき時期ではないと考え割愛する。 2009年ごろ、「がん対策」に関して、全国的にも船橋市においても大きな動きがあった。 2006年「がん対策基本法」が制定され、「がん治療の均てん化」(全国どこにいても標準的ながん医療が受けられるようにする)、「がん診療連携拠点病院」の設置が促され、船橋市立医療センターも2007年に指定させるとともに、2009年「緩和ケア病棟」の開設となった。 私は、患者家族の立場からがん対策に取り組んでこられた船橋市のNPOの方のご意見・アドバイスをいただきながら、 また放送大学の「がんの健康科学」(45分×15回)を丹念に見て、緩和ケアとがん対策に関し、市議会で質疑した。 2009年3月6日、船橋市議会本会議質疑 ちょうどその頃(2009年夏)、シャーナリスト立花隆さんが、自らががんになった経験から、世界のがん研究者をインタビューするNHK特集「がん 生と死の謎に挑む」が放映され見た。生物学徒としてがんの基本点は知っていたが、がん細胞と免疫細胞のせめぎ合い、 正常細胞(免疫細胞)が裏切ってがん細胞の味方をするなど、がんの手ごわさが、生物学を学んでない視聴者にもわかる形で示された。 その後、私は立花隆氏に主に取材されていたワインバーグ氏が、世界の標準的ながん研究のレベルを示した本「がんの生物学」を読んだ。 この本の中でワインバーグは、がん細胞を擬人化する次のような表現を随所に使っている。例えば、次の文はその一例である。 「転移する(がん)細胞は種子のように沢山の方向へ播かれるけど、それらがいったん特定の土地(組織)に落ちたときに、それらの将来の運命に関して受動的な役しか果たさないように描くわけにはいかない。そうでなくて、これらのがん細胞は、落下した土地を積極的に耕し、それら細胞と子孫細胞が増殖するための肥沃なる大地となるべく耕作するのだ。」 がん細胞が免疫細胞の監視をすり抜け増殖していく巧妙さは、まるでがん細胞に意志があるように擬人化表現することで実感がしやすくなる。 私は2001年からは市議としての事務所を本町に持ってきた。しかし、事務所は思ったように機能せず、いろいろ逡巡・紆余曲折がありながらも、 @事務所を撤退する、荷物はトランクルームに預ける。 A市民の方のご要望を伺う時は、市役所・勤労市民センター・喫茶店で伺う 形に整理し、事務所に収納していた荷物を廃棄するのと、トランクルームに移行する作業・整理を2009年夏いっぱい行った。その整理と同時に、がんの勉強をし思索を続けていた。 その整理・事務所の撤退が完了したのが9月上旬であった。 5、2009年9月10日、小説「キャサリン・キャンサー」(主人公、浅利みゆき)構想思いつく。 立花隆のNHK特集を見て、ワインバークのがん細胞擬人化表現を読んでいたとはいえ、それを小説にしようと考えていただけではない。しかし、発想というのは、煮詰まってきた時、自然に湧き上がるもののようである。 1970年代から少女マンガの第一人者の1人であり、現在京都精華大学長をされている 竹宮恵子さんの自伝「少年の名はジルベール」(小学館)に次のような記述がある。 (竹宮恵子「少年の名はジルベール」(小学館)p37・38、2016年2月1日発行) 表現としては、偉大な漫画家、竹宮恵子さんの足元にはるかに及ばない私であるが、 2009年9月10日に、一気に小説の構想が頭の中に浮かんできた。 「書名はキャサリン・キャンサー。キャサリンという愛称の女の子と、その体に宿るがん細胞(がん遺伝子)キャンサーの話。キャサリンの本当の名前は浅利みゆき。」 しかし、この時は、「60歳過ぎたら、書いてみようかな」ぐらいに考えていた。 6、2009年10月31日、金沢市21世紀美術館、金沢市高校生美術展での1枚の絵との出合い 2009年10月31日、金沢市に伺う機会があり、移動中に、船橋市に住んでいらしたこともある村上春樹さんの「1Q84」を読む。 オウム真理教と山岸会という具体的な日本の団体をモデルにした思想的な流れの団体やパラレルワールド(この世界と平行して存在している別の世界)の中に、主に2人(青豆という女性と、大吾という男性)の物語が別々に進み、しだいに交差していく話であった。 2人の話が別々に進みしだいに交差していくパターンは東野圭吾もよく使う手法である。 そのようにSF的な話で気持ちが耕された時、最後の時間に、金沢市21世紀美術館に寄った。その中で開催されていた高校生美術展の1枚の絵にくぎ付けとなる。足に多数の手が絡みついた女の子が光に向かって浮上している姿のこの絵を描いた本人はたぶん金沢市の高校生としての気持ちを表現されたのだと思うが、この絵はワインバーグが擬人化表現したがん細胞の挙動を表現、私の頭の中で9月10日の思い浮かんだキャサリン・キャンサーを指し示しているように私には感じられた。 7、2009年11月30日、水戸コミケ(2010年3月21・22日開催)に締切当日出店申し込み 11月27〜29日にいろいろあって、キャサリン・キャンサーを60歳過ぎてからでなく 近々に執筆発表する可能性を考えたところ、本当に偶然にも、5年に1回だけ「街おこし」のために開催される水戸コミケが、水戸市役所の若手職員が中心となり、水戸市の廃デパートを会場として実施されることを知った。 「コミケ」とは「コミックマーケット」の略で、マンガ・アニメなどの同人誌の即売会 であり、若者やオタクの祭典である。最近では、一時期不祥事で紅白に出られくなった時期の大物歌手、小林幸子さんがコミケに出店し、(意外な?)低姿勢が評判になったことがある。私は、実はこの時点では「コミケ」のうわさは知っていたが、行ったことはなかった。 コミケ本番は夏(お盆)と冬(年末)で、東京ビックサイトで開かれる。その夏コミケ・冬コミケは申込み締切が早く、また競争率も高く、私のような「素人」のいい加減な応募では無理である。 しかし「街おこし」で5年に1回ぐらいに開かれる、春コミケは、参加基準がゆるく、11月30日、最低限の書類を整え、郵送し、出店OKとなった。 私が執筆に踏み切ろうとしたぎりぎりのタイミングで5年に1回の春コミケがあったのは僥倖(仕合わせ)としか言いようがない。 その後、短編「キャサリン・キャンサー」を見開き「半分アニメ・半分文章」の形の小冊子で作成することを決め、原作を私が書き、近くに住むアニメ好きの船橋市民に絵を書いていただきながら、2010年3月21・22日、水戸コミケで発表した。 2010年3月21・22日水戸コミケ発表「(短編アニメ版)キャサリン・キャンサー」 8、いよいよ携帯小説「キャサリン・キャンサー」スタート 水戸コミケに実際に行く前、準備が整った2010年3月15日、携帯小説「キャサリン・キャンサー」を書きはじめる。読者になってくれたのは約60人であった。「人生には勢いが必要。短編アニメ原作が書けたのだから小説も書けるはず」との思いでスタートさせた。最初は、小説においても毎日1話、7月ぐらいまでの100話で完結するぐらいの「短編」を考えていた。 「携帯小説」という手法は、10・20代ぐらいの恋愛小説で当時はやっていた手法で、小説の大御所の瀬戸内寂聴さんも若手の発表方法として推奨されていた。毎日決まった時間にメルマガとして発行する「締切・縛り」を作ることで、毎日少しずつであるが執筆が進むメリットがある。 しかし、3月15日に執筆をはじめて早くも4月下旬には行き詰まりを感じる。舞台を東京にだけ絞っていたのでは無理だとの判断で、主人公の浅利みゆきを京大文学部を受験、浪人、翌年合格させ京都を舞台にできる準備のため、2010年5月のGWを使って京都の左京区を取材した。その際、大学としては京大と京都精華大を見にいった。 ↓まずは不思議な雰囲気の大学、京都精華大(2番目は畳じきの談話室、3番目は山の上にたてられた小屋) 9、2010年10月20日、携帯小説キャサリン・キャンサー第2幕(2015・2016年が舞台)スタート 3月15日スタート時点では100号ぐらい(7月ぐらい)を目安に完了させようと思っていたが、10月までは基本的に毎夜執筆を続けた。SFというよりも恋愛(浅利みゆき)と日常生活(山室哲)の要素が強くなっていった。その意味で10月時点で展開に行き詰った。 執筆も毎夜はきつい。しかし、少ないとはいえ、毎朝読んでいただける60名の読者がある以上、書きあげなければいけない。そこで、主人公の1人(浅利みゆき)を東京が一浪させた上で京大文学部に合格させ(最初の)彼氏と結ばれるまでは描いた時点で、一気に時計を進め、執筆も隔日あるいは、もっと頻度を落とした。 舞台は、(当時としては)2015・16年の未来に飛び、国立対がんセンター研究室を1つの舞台に、謎の団体「脱の会」と「アタラクシア」のせめぎ合いに話を進める。これについてもその後の結末の構想が煮詰まっていたのではなく、どう結末させるのか?いつ執筆を終わるのか?、未定のまま2011年3月10日まで執筆を続けた。 ↓2010年3月10日までの執筆記録 11、携帯小説「キャサリン・キャンサー」の紹介(あらすじと登場人物配置) 「『ほほえむ少年』(別冊少女コミック)は言いたいことがちゃんと伝えられず、失敗作であった。バットエンドな話が多くなり、まったくカタルシスや爽快感がない。」 竹宮恵子自伝「少年の名はジルベール」(小学館、2016年2月1日)p141 私などは足元にも及ばないプロの表現者の竹宮恵子さんが、プロとして発表した自らの著作を失敗作と表現している。それを読んで、私も携帯小説「キャサリン・キャンサー」は失敗作とまとめた上でまとめたい。 さて、5年執筆停止の間に、客観的に小説を振り返ることとなった。「失敗作」と結論づけ、お別れ会(2016年2月5日京都)をした上で「保留」でなく「断筆」することを決めた。2010〜11年に、その時は1年間一生懸命格闘した試みの失敗を整理することは、当面生きていく上でも、また市議の活動をしていく上でも、そして6年後59歳を目安に、小説に再挑戦する夢を持ち続ける上でも大切と思う。 また、以下はプロのレベルでの反省・分析には到達せず、素人レベルの反省であるが、将来素人なりに小説やストーリー漫画などの執筆を考えている方には、「反面教師」の1つとなるかもしれません。 まずは、その前にあらすじを紹介します。 ●浅利みゆき{ニックネーム、キャサリン}の物語(第1幕) 東京都、自修高校テニス部の浅利みゆきは、都選抜テニス大会決勝で、ライバル熊沢美樹(のちにAKB48センター、朝ドラのヒロイン)に敗れる。それを機に、受験勉強を始め、まず東大農学部の「女子高生向け遺伝子講座」に出るが、生物系とはならず、日本史を学ぶため、京都大学を受験するが不合格。受験の時、京大生、早川晃と 初老の紳士「ダム女のミルヒー」に会う。1年間、千台予備校で浪人し、京大文学部に合格。早川さんと付き合い始める。 ●山室哲の物語(第1幕) 船橋市民で東大農学部准教授の山室哲は、船橋西部のマンションに住み、妻と子ども(美紅・みく)と住んでいる。大学では大腸菌を素材に遺伝子研究を進め、「女子高校生のための遺伝子講座」を受け持ったり、駒場(教養課程)の教育担当になったり、事業仕分け反対声明協議の会議に出席させられたり、研究外の「雑務」が多く回ってくる。 子ども(美紅)の保育園父母会卒園式に向けたわらべ歌指導に来た「でめきん先生」(出目沢均子)の登場以来、哲の周りでは少し不思議なことが多い。そんな折、大学の時「あこがれの方」であって、今は友人の戸川(京都精華大講師)と結婚している木本依子が、京都市議選左京区選挙区に無党派で挑戦することを聞き、応援に行く。そんな中で、新興宗教団体「脱の会」とコミケ系サークル「アタラクシア」との抗争に巻き込まれていく。 ●キャンサー(第1・2幕) 浅利みゆきの中にいるがん遺伝子。時々見え隠れするが結局1・2幕でもどう登場させるか悩み、登場したりひっこんだりしている。 ●第2幕(2015・2016年)の二人 失恋の失意の中で、日本史における魑魅魍魎と病気の関係を研究テーマにして大学院に進んだ浅利みゆきは、かつてのテニス部ライバル熊沢美樹の朝ドラでの活躍を目にしながらも気分が晴れない。初老の紳士「ダム女のミルヒー」の自宅に時々遊びに行って悩みを話したりしている。そんな折、南禅寺でアタラクシアのメチニコフ(須田宏)に再会する。 山室哲は結局、国立対がんセンターに勤めることになり、研究室で見つかったなぞの細胞株(KY細胞株)の分析を始める。 ●第2幕(2015・2016年)で明かされた事実 1973年、国立対がんセンターで、以上に転移性の強いがん細胞株(KY細胞株)が発見され、3人の研究者(川瀬豊、山本仁美、海野郁郎)が、その細胞に「意志」を感じた。川瀬豊と山本仁美は、その転移性を封じ込めようとし、新興宗教団体「脱の会」を立ち上げる。一方、海野郁郎はその細胞の意志を受け止めることが人類の進化につながると感じとり、コミケ系サークル「アタラシクシア」にテコ入れする。実は両者の抗争は2011年京都市議選(左京区)を舞台にも広げられていたのだが、2015年時点では、「脱の会」側であるでめきん先生(出目沢均子)は芸能界も含めて多大な影響を発揮し優勢である。そのでめきん先生の過去とは? 劣勢で追いつけられたアタラクシアのメチニコフ(須田宏)は、浅利みゆきと南禅寺で再会したころ、ある決意を固めていた。メチニコフ(須田宏)の元カノである佐藤マリは、別れても思想は影響を受けており、自分が何をすべきか考え続けている。 以下登場人物の配置をまとめた図です。 携帯小説「キャサリン・キャンサー」バックナンバー 12、小説失敗の原因分析〜テーマの難しさ、共感の欠如、登場人物が多すぎる・構想の欠如・既存作品の焼き回しの側面 失敗の原因を5つあげたい。 @テーマの難しさ。 生物系の人から次のような話を聞いた。 「NHK特集人体シリーズは第1回が臓器シリーズ、第2回が脳シリーズ、第3回が遺伝子シリーズだったが、第3回は、視聴者から『わからない』との声が多く、一番不評だったようだ。やっぱり脳や臓器と違って、目に見えない遺伝子を、生物系以外の人が理解するのは難しいようだ。」 本小説でも擬人化したがん細胞・がん遺伝子「キャンサー」を登場させたり、ひっこめたりしていたが、どのように最終的に登場させるか決め難かった。遺伝子・DNAですら難しいのに、更に高度なDNAメチル化をテーマにしようとしたのも難しかった。小説執筆では素人・アマニュアである私が、NHKでも苦労した一番難しいテーマを選んでしまった A共感の欠如 深夜執筆という制約された条件で物語を書こうとすると、自らの体験をベースにするしかない。山室哲とその周辺は東大にいた時期のある私自身とその人間関係がモデルであるのは仕方ないだろう。しかし、物語での対局の存在である浅利みゆきもそれに引きずられた設定にしてしまった。2010年当時は、浅利みゆきは日本史と魑魅魍魎研究ということで、生物系の山室哲と対極にさせたと考えたが、京大とその大学院に入学・進学した時点で共に同じ学問世界の狭い範囲になってしまった。主人公の2人が東大と京大では大学や学問に思い入れがある人にしか共感が広がらない。 せっかく京都精華大を見にいったのだから、浅利みゆきを京都精華大に入学させ、マンガやイラスト表現という形で魑魅魍魎に迫る設定にすればよかった。 B登場人物が多すぎる。 粗筋(あらすじ)に書いた人間関係ですら多いのに、実際の小説の登場人物はこの2倍以上であった。ネタが欠如すると新たな登場人物を出す形をどうしてもとってしまって複雑になりすぎた。 C構想の欠如 「書いていけば、著者の想像を超えて登場人物たちが勝手に動きだし、物語は進む。逆に最初から著者の中にシナリオがある形では、著者自身の驚きがにじみでず面白くない」 というようなことを聞いた。そのつもりで構想と結末予想(実は漠然とはあった)が不十分のまま書きはじめ、確かに登場人物どうしが勝手に動き出す面白さも感じたが、逆に@Bの失敗にもつながった。 D結局既存作品の焼き回しの側面 脱の会とアタラクシアの対立は、村上春樹「1Q84」でオウム真理教と山岸会をモデルにした団体が出てくるのとさして変わりがない。国立対がんセンターの生物研究者の構想から物語が始まっているというのも「新世紀エヴァンゲリオン」が京大理学部・医学部の研究者から話が始まっているものとさして変わらない。つまり素材(がん細胞・がん遺伝子)こそ違え、焼き回しと言われてもしかたない。 13、挑戦したことそのものの意味、左京区の舞台設定のみが小説としての成功か? ただ、小説として全く積極性・いい点がなかったわけではないと思う。がん遺伝子・細胞という難しいテーマに素人なりに挑戦しようとしたこそそのものと、左京区を舞台の1つにしたことはよかったと思っている。 また当時の60人の読者やその後お読みいただいた方の中には「浅利みゆきのことを書くとき、女の子の気持ちになりきっていますね」「ダム女のミルヒー好きでした」「メチニコフがまさかそういうことになとは」など具体的で励まされる感想もいただき、中途で終結したとはいえ描いてよかったと感じている。 14、失敗小説、酵素となるー311以降の激動、市議会活動、本出版につながる。 結局1年間も夜な夜な小説を書いていたことになり、夜中の作業とはいえ、私の本筋の仕事とは直接関係ないことをしていたことになるが、執筆停止の311以降、この経験が本筋の仕事に役立ってくるという不思議な巡り合わせとなった。 「キャサリンキャンサー」をきっかけに、コミケ系で理科・数学の研究者が多いサークルとつながり、MLにも参加する。ここでのネットワークが3つのことにつながる。 @2011年3月14日、計画停電場所別リストの入手と公開 3月13日夜、政府によって「明日から4地区に分けで輪番で計画停電を実施する」と言われた時、船橋のどの地区がどの時間帯に停電になるかの情報がなかった。その直後、船橋の地区別リストを入手し公開できたのはそのMLを通じてであった。 Aパソコン描画ソフト、イラストレーターの訓練 今の公式サイト自体の設定も、また図版をすばやくイラストレーター(CS6)で描く技術も、そのMLを通じた、美術系のパソコン家庭教師のご指導のたまものである。イラストレーターでのパソコン描画技術は、市議会で技術系の議題を議論する時の配布資料作成とその公式サイトでの公開に役立つ欠かせない技術となった。 ↓市議会での下水処理方式選択の是非にかんする質疑のためにイラストレーターCS6で作成(JPEGに変換)の図 パソコン描画を基礎に船橋の中3生相手に進めた高校入試対策「図形」での特別講座とまたそれを基礎にした3冊の小冊子「円」「三角形」「図形の証明」につながった。 15、2016年2月京都行き前後の読書と思索 2015年12月、2016年2月に市議会広報委員会視察で5年ぶりの京都宿泊になることが決まった時、心ざわついた。急に12月〜2月、小説関係が読みたくなり、次のように読み進めた。 吉本ばなな「ふなふな船橋」(毎日新聞出版) 森沢明夫「きらきら眼鏡」(双葉社) 「寂聴と磨く『源氏力』全五十四帖一気読み」(集英社文庫) 東野圭吾「カッコウの巣は誰のもの」(光文社) 一色さゆり「神の値段」(宝島社) 七月隆文「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」(宝島社) また自伝や理論書として次のものを読んだ。 竹宮恵子「少年の名はジルベール」(小学館、2016年2月1日) コーバリス「意識と無意識のあいだ」(講談社ブルーバックス) これらの読書は今回、自分の気持ちを整理し、この文章をしたためる上で参考になった。 どれも一読をお勧めしたい作品である。 16、2016年1月31日、七月隆文「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」(宝島社)との運命の出会い そして読み進めるうちに、 @登場人物は基本的に2人(周辺になぞの人が出てくるがそれも2人に関係) A共感を生む登場人物(京都精華大(小説では別の名前になっているが)マンガ学科の青年と、利用専門学校に通うというなぞの女性 B時間の流れの捉え方の発想の転換という誰でもがわかりやすいSF(といっても現在に時間の流れ方が違う別世界が交差する形) というわかりやすさは、同じ左京区を舞台にしながら@登場人物が多すぎ複雑化したA教官を生みにくい登場人物B難しすぎるテーマ、という失敗をした私の小説の真逆の成功と感じた。と同時に、「左京区を舞台にしようとしたことは間違っていなかった。私の失敗の代わりにいい作品を書いてくれてありがとう。」との思いが浮かび上がり、今度の京都では 私の「キャサリン・キャンサー」を保留ではなく「断筆」と決めるお別れ会をしようと気持ちが割り切れた。 17、コーバイス「意識と無意識のあいだ〜『ぼんやり』したとき脳で起きていること〜」(講談社ブルーバックス)での小説の捉え方 脳・心理の研究者のこの解釈は、瀬戸内寂聴の宗教・文学的解釈とともに、小説の大切さを裏付けてくれた。 18、お別れ会としての2月5日早朝京都散策強行〜小説執筆中の鈴木ひろ子市議とともに ↓この写真は2月5日当日のものではなく後日のもの 2016年2月4日(木)船橋市議会広報委員会視察1日目 岐阜県可児(かに)市議会「高校生との意見交換会について」 2016年2月5日(木)船橋市議会広報委員会視察2日目 京都府京都市会「議会報告会について」 多くいらしたら、皆のご意見を聞きながらバランスよく見る場所を決めていこうと思っていたが、当日朝来たのは、鈴木ひろ子市議のみ。そこで、まず、鈴木ひろ子市議が行きたがっていた八坂神社に行くことにする。 ↓早朝6時、「貸切状態」の八坂神社 小説を断筆し「お別れ会」をしようとした私が、これから執筆しようとしている鈴木ひろ子市議が、小説の舞台となった場所を散策するというのも不思議な縁と感じた。京都市会(これ時代も私の小説の舞台であった)視察後、新幹線に乗るまでの自由時間で1人で浅利みゆきが学んだはずの京大キャンパスを散策し、「お別れ会」を仕上げた。 19、別の形での復活の夢 私の好きな漫画家、松本零士のコアなファンしか知らない初期の作品にアメリカ西部劇のマンガ「ガン・フロンティア」というのがある、この作品は、日本人の大山トチローが日本に向けて小舟で旅立ちとハーロックと彼女シヌノラ(のちの作品のエメラルダスにあたる)と別れる場面がある。この作品自体は有名にならなかったが、1970年代後半、「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」という形で同じ人物がブレイクした。 「キャサリン・キャンサー」の登場人物のうち、山室哲はネタを作るために苦し紛れで自分をモデルにしたのであまり思い入れはないが、2010年9月10日に頭の中に浮かび、アニメでも小説でも主人公にした浅利みゆきは、いつの日には小説の主人公、あるいは主人公でなくても登場人物の1人として復活させたい。できれば6年後(2021年)を目安にしたいが、それにこだわらず生きているうちに描きたいという夢を持ち続けている。 ↓ガン・フロンティアの登場人物が、宇宙海賊キャプテンハーロックで復活 (惑星ヘビー・メルダーにて) これから3月議会(予算議会)の審議が始まり、小説どころではなくなるので、一旦「小説断ち」するが、自分の気持ちに一区切りつけた今、一番の原点「源氏物語」(現代語訳、寂聴源氏)に挑戦する。小説・小説と言いながら、恥ずかしながら、まだ(あらすじ要約の本以外は)読んでいないことをいたく反省し(笑)、まずは4月から源氏物語の世界をじっくり読んでみたいと思います。 |