↓ちくま日本文学全集37「岡本かの子」↓

岡本かの子(1889年〜1939年)の小説「鯉魚(りぎょ)」「金魚繚乱(りょうらん)」を読みました。

岡本かの子は、
『やは肌のあつき血汐にふれも見でさみしからずや道を説く君』
などで有名な与謝野晶子に弟子入りし、
漫画家の岡本一平と結婚した。2人のお子さんに死なれたり、夫とうまくいかず、
彼女のファンであった早稲田の学生と恋愛したり紆余曲折の人生だった。後年は仏教に救いを求めた。
その体験や気持ちが文章ににじみ出ている。
 ちなみに、1970年の大阪万博で作られ高度経済成長の象徴とされた『太陽の塔』を造った岡本太郎はかの子の息子です。

与謝野晶子の生き方も激しいですが、その愛弟子の岡本かの子の生き方も激しいですね。
それにしても岡本かの子のテーマに「魚」が多いのはなぜなのでしょう?

 「鯉魚」は、寺の小僧が乙女への恋を貫き、最後に住持(住職)がうまく決着させる小気味よい作品で、
同時に「心の底ではもう恋が成熟しきっている。」など文章表現のあでやかさに与謝野晶子の影響を感じる作品だった。

「金魚繚乱」は更に不思議な作品だ。「繚乱(りょうらん)」は「入り乱れること」という意味。

 崖下に住む金魚屋の息子、復一が、崖上にすむ資産家の娘、真佐子に恋をする。
真佐子はやがて他の男と結婚し2人も子どもを産んでいるにも関わらず復一は忘れきれない。
金魚の品種改良の研究者となった復一は
現実には実らぬ真佐子への恋を、真佐子のように美しい金魚を作ろうと研究に没入していく。

「彼は到底現実の真佐子を得られない代償としてほとんど真佐子を髣髴(ほうふつ)させる美魚を創造したいという
意欲がむしろ初めの覚悟に勝って来た」
「早くわが池で、わが腕で、真佐子に似た繚乱の金魚を一ぴきでも創り出して、凱歌を奏したい」

 現代的に表現すればマッドサイエンティストだが、そのマッドサイエンティストが、
最後に自然の摂理の中で仏教的な悟りの境地にいたるような終わり方には、岡本かの子の深さを感じます。