朝早くからすみません。
 できるだけ、メルマガ、できるだけ元気の出る内容で書いていきたいと思っていますが、時には、言葉にしても人生にしても、辛い内容の言葉もあり、その言葉の出てきた背景も捉えていきたいと思います。
 辛い内容に込められた意味を知ることで、少し味方が変わり、辛い中にも希望が出ることもあります。

 前置きが長くなっていますが、地震・震災はあってはほしくないもの。でもそれを防ぐために防災の取り組みがあり、関東大震災の起きた(1923年)9月1日を中心に様々な取り組みがされています。
 私も2006年より、9月に、東京(秋葉原)→船橋、震災時徒歩帰宅演習を行います。電車が止まった時、東京通勤者が船橋まで歩いて帰ってくるための演習です。
 今年は19日(日)に朝7時、秋葉原駅電気街口集合で、夕方4時に船橋駅に着くことを目途に演習を行うますので、よかったらご参加ください。事前申し込み不要。当日緊急連絡先090(4075)5967。

 さて震災の「災」(サイ・わざわい)・「わざわい」とほぼ同期の「禍」(カ・わざわい)を考えてみましょう。

まず「わざわい」の意味。昔は「わざはひ」と書きました。「わざ」は神意の込められた行為。「はひ」は「さきはひ」(幸い)「にぎはひ」(賑わい)と同じ「兆し(きざし)」の意味で、
「わざはひ」は戒める神意の兆しのことで、かつては悪い意味だけでなかったが、今は悪い結果のことのみを示すようになった。
「災」の上の「くくく」は水流がふさがれてあふれることで「水害」をしめした。それに火災の意味の「火」を加え、「わざわい」一般を示すようになった。

「禍」はつくりが「人の上半身の人骨を器にそえた」形の象形、「ネ」は神をまつる時に使う机の形を示し、「わざわいを祓う(はらう)儀式」を示す。それが「わざわい」の意味になる。

「禍」の原義には、「わざわいを祓う(はらう)祈り」の意味が込められているということは少しすくわれますね。

★2016年1月再掲載編集注
 2010年9月にこのような内容のメルマガを発信していて、2011年3月に東日本大震災を迎え、結果として「秋葉原→船橋徒歩帰宅演習」が役にたった人がいたなど、非常に感じるところがあります。