今日から3月ですね。
3月が旧暦で「弥生」(やよい)というのはご存じですね。

「弥生」(やよい)には思い出があります。

(昔その名前の女の子が好きだったというわけではありません(笑)。松本零士「1,000年女王」の主人公は雪野弥生は好きでしたが・・・)

私は1985年〜1988年まで
文京区弥生2−18−10 東大向ケ岡寮(今は廃寮)
に住み
文京区弥生1−1−1 東大農学部

に通いました。

この文京区弥生は「弥生式土器」の発見の地であり、
この地で発見されたので「弥生式土器」「弥生時代」と命名されたわけです。
通学路の途中には「弥生式土器発見の地」という碑が立っていました。

さて、私が入寮する前の1980年代前半、本郷3寮(豊島・向ケ岡・追分寮)の建て替え計画が持ち上がっていました。
 以下は寮の先輩から聞いた話です。

 老朽化したので建て替えなければいけないが、寮生の本音は木造の旧寮を残したい。しかし、建て替えは認めざるを得ない段階となって、いよいよ、建て替えのための調査を前提とする「埋蔵文化財調査」が始まります。
 建て替えを進める大学側(厚生課)と、本音では建て替えしたくない寮生が立ち会いのもと、埋蔵文化財調査が始まります。
 調査開始後、しばらくして調査員が「土器が出ました」とつぶやくと、

青ざめる大学当局(厚生課)、笑いをこらえきれない寮生。

その夜、寮食堂では埋蔵文化財(土器)発掘により、建て替えが延期されたことを祝うドンチャン騒ぎが始まります。炭坑節の節で寮生が歌います。

「土器が出た出た。土器が出た。向ケ学寮の下に出た。
あんまり寮生が喜ぶので、さぞや厚生課もけむたかろう。さのヨイヨイ」

(炭坑節
「月が出た出た。月が出た。三池炭鉱の上に出た。
あんまり煙突が高いので、さぞやお月様もけむたかろう」)