私の育った家は父親がプロパンガスの商店、母親が海の民宿という農業などまったく関係ない非農家でした。
どちらかというと「土いじり」など嫌いなタイプでした。
若い時、夢中になったサーフィン、宮崎でのサーフィン三昧の生活。
その延長で4年遅れで受験して入った宮崎の農業大学。
その暮らしにもピリオドをつけなくてはいけない年齢になってきた時、周りにあった仕事、それが農業でした。
はじめは、ものすごく甘い考えでした。考えというより思いつき的でした。
農業 は半年、収穫をして、残りの半年、サーフィンができる。
なんていい仕事だ。というアホ丸出しの考えでした。
それで、近所の優秀な農家さんに研修生として弟子入りしました。
その当時の自分の頭の中は、まだサーフィンの事8割。農業の事1割。彼女(今の嫁さん)の事1割。
というアホ丸出しのうえ、 技術はなし。農地はなし。資金はなし。の「なしなしづくし」でした。
そんなアホ丸出しの私も、研修が1年と数カ月続きました。その時、愛知の地元で中古のハウスを借りられるという話が舞い込んできました。しかしそのハウスは放置して10年もたつジャングルの中のハウスでした。
しかしそこはアホ丸出しの若者です。宮崎の師匠のアドバイスのもと開墾作業が始まりました。
ハウスの中に雑木が生えていたり、つるで覆われているハウスを何とかきれいにしました。
今となっては情熱と手伝ってくれた友達のおかげと感謝しています。
そして何とか見よう見まねで就農し、初めてトマトの苗を畑に植えました。最初は失敗の連続でした。
2年後にハウスを3倍に増やし、自分の直売所で「おいしいトマト」を販売するようになりました。
初めてトマトの苗を植えてから10年が経ちます。
まだまだ日々勉強ですが、宮崎にいたアホ丸出しの青年は、今は3人の息子の父親となり、
アホが少しマシになり、毎日トマト作りに励んでいます。
小鈴ファーム代表 小鈴貴史