厳選素材にこだわった北海道十勝産小豆無添加の味をご賞味下さい。
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あんこのお話

「あん」はその昔、聖徳太子の時代に推古天皇が小野妹子を遣隋使として中国へ派遣した際に伝来されたとされます。(中国菓子で用いられる「肉あん」が、その原形と考えられています。)平安時代、団子とよく似た唐菓子の「団喜(だんき)」の中身は、あんこの祖型と言われるがこの頃は「肉」のあんであったそうです。



一方で現在の「あんこ」の原料となる「小豆」は弥生時代の静岡県登呂遺跡からも遺物として出ており日本人との食文化の付き合いは長いことがわかります。小豆の「あん」が歴史に登場するのは中国が「元」の時代の1349年に林浄因(りんじょういん)が来日し後村上(ごむらかみ)天皇に「饅頭」(まんじゅう)を献上したことに始まると言われています。 初めは、塩で味付けした「塩あん」でしたが、室町時代に砂糖の輸入に伴い甘味のものが現れ、江戸時代になって砂糖の国内生産が拡大するに連れて「砂糖あん」が主流となりました。
 1603年に、長崎で出版された『日葡辞書』(にっぽじしょ・日本語ポルトガル語辞書)には、「餅(もち)または饅頭(まんじゅう)の詰物」と記されています。





あんこ屋小沼のお話

江戸・明治時代まで、和菓子屋さんで小豆を煮て作っていた「あんこ」ですが、庶民にも手が届くようになり街の菓子店が明治時代に増加すると製餡を専門とする「製餡所」が誕生しました。

大正元年には日本初の「製餡機械の特許」が認可され製餡機械設備の開発が進みました。



この「製餡所の祖」となった静岡県興津出身の偉人を祀る石碑が昭和12年静岡県興津承元寺に建立され、昭和29年7月23日には慰霊祭が挙行されました。※1

全国から関係者139名が集い「有限会社小沼製餡所」の先々代「小沼庄一郎」もこれに参加しております。






小沼製餡所は、清水の興津を出身に
その昔、静岡、掛川、豊橋、袋井の順に東海道の街道を走り、始まりました。




「あんこ創り」には「きれいな水」が必要です。その昔「弘法大師様から清らかな水の流れを賜った」と伝記の残る「神代地川」沿いに工場を構え創業しました。

製あん工場となった建物は「旧東海訓盲院」(※1)を改装しました。



※1 東海訓盲院とは
明治30年4月掛川町に出来た静岡県下最初の盲学校。松井豊吉氏が掛川中学同窓の飯塚仙太郎氏、杉山東太郎氏の協力を得て設立。のち大正5年、掛川の訓盲学院は静岡市安東に移転された。

※2 画像は 〜「製あん業の祖」慰霊祭〜
昭和29年 静岡市清水区興津の承元寺にて





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